2021.04.30

中旬には休めるはずだったのが、詰め込みすぎてしまってたまたま今日、何にも予定のない日を迎えた。予定やしたいことがあるのはいいことだけど、休めていないのに続けることは効率が悪いから一旦休んだ方がいいと思う、と相方に言われて、はっとした。生活がとても乱れていた。

百人一首はあれから進んでいない。

社会の授業、興味なかったけど、文化人類学生態学を少しかじったあたりからか、徐々に人間の歴史に興味を持つようになり(生態学寄生虫専門の教授でしたが...)、今日は中学の世界史の参考書の年表を親と眺めていた。忘れている単語ばかりで全然わからなかった。

ドラマの再放送を見て、人の顔は、歳を重ねるにつれてその人の積み重ねてきた感情が刻まれていくというはなし、発達障害精神障害などのみえにくい障害や性的マイノリティ等の、打ち明けにくさは何なのか、また社会に向けてそれらを伝えることはどんな意味が生まれるのかというはなし、北極星を意識し始めた時代はいつなのか、文明の発展は定住生活と結びついているんじゃないかというはなし、花という単語が入る日本語は美しいというはなし、bpmの設定は曲にどんな印象の変化を与えるのかなどのはなしをした。

親とは日常的にこういうはなしをしている。わたしには出産願望がない。結婚願望については答えがわからずにいたけれど、結婚という言葉を使うのなら、その形式を借りた共同生活者がほしいんじゃないかと思うようになってきた。

人と関わる機会がほとんどなく、親としか話していない生活を送っているといっても間違っていないような暮らし。少し仕事をして、親と話し、ひとりの時間をじぶんのペースで過ごす、このリズムがわたしにとって心地が良いと今は感じている。もっと、ひとりの時間がほしいくらい。

思えば物心がついた頃から、こっちが自然体で、ある数年間の記憶のほうが、周りに合わせ楽しい気がしていただけの暮らしのように思えてきたが、合理的に考えようとしているだけなのだろうか。

恋愛や友情ということばでは現しきれない部分の関係性を求めているような気がする。上記のようなはなしのやりとりをする、プラトニックな関係の共同生活者がほしい、というほうが近い。

わたしにはたぶん将来的に、そういう存在がいないと生き抜いていけないような感覚がある。しかし一方的なものでは成り立たせることができないように思われるので、やはり恋愛や結婚という形に近いイメージなのかもしれない。お互いの精神衛生を保ったり、思考を深めるような存在がほしい。性別は問わない。いや、募集しています、とかそういうはなしではありません。

詩が書きたい(書いている)。心地のよい演奏がしたい(ギターを習っている)。DTMがしたい(少しやってみた)。画像作品(アートワークっていうんですか?)を作りたい(始めた)。短歌を書けるようになりたい(読むほうは始めている)。香りについて学びたい(香りや薬剤の仕事がしてみたかった、線香や漢方の香りがすきです、珈琲や紅茶の香りもすき)。漢字を覚えたい(漢字検定の本を購入している)。水彩画の絵画教室に行きたい(去年だったか祖父の顔を描きましたがお気に召されず残念でした...気軽に通える個人でやっているようなところを誰か教えてください、まずは模写や写生を始めようとしている、そのためもあって密かにお気に入りの構図の写真を撮ったり目に焼き付けたりしている)。

すでにすべて、半分いやつま先くらいを突っ込んでいるようなものですが。ほとんど創作のことしか考えていないような脳みそになってきました。親が、休み明けは毎週、夢から醒めたような、長旅の後のような感覚で職場に行く感覚があって不思議だと言っていましたが、同意します。うたがうまくなりたい。